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イーストウッドが演じる、息子夫婦らの親族にうとまれている、昔気質の頑固親父。
もはや「爺さん」という年齢に差し掛かった主人公が、妻に先立たれ1人暮らしを始めた後に、隣の家に住むアジア人家族と交流を持つことから始まる、悲喜劇を描いています。
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「グラン・トリノ」のあらすじ
モン族一家との出会い
アメリカの中西部、デトロイトの町。
町に長年住んでいる老人、ウォルト・コワスルキーの妻の葬式が行われていました。
葬式に参列したウォルトの若い孫たちは、いかにも「現代っ子」といった感じで、神父の言葉の最中にもスマホをいじっている有様。
ウォルトはそんな孫たちを、苦々しく見つめています。
反対にウォルトの息子や妻たちは、「頑固一徹」なウォルトを疎ましく感じていました。
妻が先に逝き、ウォルトの1人住まいとなった家で、葬儀の後に食事の席が設けられましたが、ここでもウォルトは家族や親類から何か浮いた存在になっていたのです。
そんな空気を察して、ウォルトが愛犬を連れて家の外へ出ると、隣の家では最近越してきたアジア系の家族が、親類も集まって賑やかな祝い事の最中。
「ネズミどもが、何匹集まるんだ?」
ウォルトはあからさまな差別意識を持って、隣家を見つめていました。
愛犬との水入らずの1人暮らしに、なんの不満もないウォルトでしたが、妻は自分がいなくなった後のウォルトを心配して、通っている教会の神父に相談していました。
神父はまだ20代と若く、「奥さんに頼まれて、あなたの懺悔を聞くようにと・・・」とウォルトを訪ねますが、全く相手にされず追い返されてしまいます。
その頃、隣家に住むモン族の息子・タオは、この町に住む同じモン族の、若い不良たちに付きまとわれていました。
不良の1人がタオの従兄弟ということもあり、タオを強引に仲間にしようとしていたのです。
ある日不良たちは、タオに「俺たちの仲間になるには、試験がある」と、タオに車泥棒を命じます。狙った車は、ウォルトが昔から大事にしている名車「グラン・トリノ」でした。
タオは夜中にガレージに忍び込みますが、ウォルトに見つかってしまいます。ショットガンを持って現れたウォルトにタオは驚き、逃げ出します。
しかしウォルトも、咳が出てその場に倒れこみます。咳をした後、自分の口元から血が出ていることに、ウォルトは気づきました。
数日後、不良たちは尚もしつこく、タオの家まで押しかけて来ます。
タオの姉・スーが不良たちを追い返そうとするうちもみ合いになり、隣家の家族一同が出てきて、大騒ぎになります。
騒ぎが広がり、ウォルトの家の芝生にまで足を踏み入れる事態になり、ウォルトがショットガンを持って現れます。
「うちの芝生に、足を踏み入れるな。」
その昔、朝鮮戦争に出兵し、アジア兵相手に戦ったウォルトの「本物の迫力」に、不良たちはたじろぎ、捨てゼリフを吐いて去って行きます。
スーは、不良どもを撃退してくれたウォルトに礼を言いますが、ウォルトからすれば、「自分の家の芝生を汚した奴を追い出した」だけでした。
しかし隣家の家族はウォルトに感謝し、次の日から、花や食べ物などの「感謝の品」を次々にウォルトの家へ持参し始めます。
ウォルトにすると「ありがた迷惑」な感謝の仕方でしたが、隣家の人々は「貢物」をやめません。車を盗もうとしたタオも、この機会に改めて、その事をウォルトに謝罪するのでした。
深まっていく、モン族一家との交流
それから数日後。車に乗っていたウォルトは、スーが街角で、ラテン系の不良たちに絡まれているところを見かけます。
車から降りたウォルトは、不良たちの前に立ちはだかり。最初は右手を拳銃の形に握り、人差し指を伸ばして「バン」と「撃つフリ」をしていましたが、不良たちがバカにしていると、腰から本物の拳銃を取り出します。
「危ないオヤジだ」と判断した不良たちは、こちらも捨てゼリフを吐きながら去っていきます。ウォルトはスーを車に乗せ、交友を深めながら、家まで送っていくのでした。
そして迎えた、ウォルトの誕生日。
自分を年寄り扱いする「実の家族」にウンザリしているところに、スーから隣家でのバーベキューに来ないかと誘われます。
誕生日に1人で飲むよりはいいかなと、珍しく腰を上げ隣家を訪ねることにしたウォルトに、スーは「ハッピー・バースデー、ウィリー!」と親しげに呼びかけます。
ウォルトは「ウィリーと呼ぶのはやめろ」と言いながら、まんざら悪い気はしていません。
モン族の風習や習慣の違いに戸惑いつつも、ウォルトは隣家での料理に楽しみ、なぜか自分の家族と一緒にいる時よりも、安らぎを覚えるようになっていました。
すると今度は、スーとスーの母親が、タオを連れてウォルトの家にやって来ます。
タオがグラン・トリノを盗もうとしたのを「家族の恥」と考えた隣家は、それを償う意味で、タオにウォルトの仕事の手伝いをさせようとしていたのでした。
いきなりの「押しかけ手伝い」を断るウォルトでしたが、断られるのは侮辱になるというモン族の伝統を聞き、仕方なくタオを受け入れます。
しかしそれは表向きのことで、ウォルトはタオに、庭にいる鳥の数を数えさせるなど、全く「仕事」をさせません。
それでもくじけず毎日通ってくるタオを見て、ウォルトは名案を思いつきます。
歳を取った自分では少しキツいと思っていた作業、例えばずっと気になっていた向いの家の屋根の補修などを、タオにやらせ始めたのです。
慣れないキツい仕事を言いつけられ、しかしそれを全力でやり遂げていくタオ。
そんなタオを近所の人々も頼りにするようになり、ウォルトも「ヤワな男」だと思っていたタオを見直します。
奉仕の期間を終えた後も、ウォルトの庭で作業するタオ。
ウォルトは将来どうするのかとタオに聞きますが、タオは大学へ行きたいがお金がないと嘆きます。
「だったら、稼ぐんだよ。」
ウォルトは、自分の知り合いがいる工事現場へタオを連れて行き、そこで仕事が出来るように紹介します。
仕事に向けて張り切るタオに、「給料で返せよ」と言いながら必要最低限の道具を買い与え、後は自分がこれまで買い集めてきた工具を貸すウォルト。
タオはそれから毎日仕事に励んでいましたが、ある日の仕事帰り、また同族の不良たちに絡まれてしまいます。
ウォルトから借りた工具を壊されたあげく、顔にタバコの火を押し付けられる、「根性焼き」をされてしまうのでした。
タオがされた仕打ちを知ったウォルトは、怒りが爆発。
不良たちの家に向かい、家から出てきたところを捕まえて、殴打。倒れた不良に銃を突きつけ、タオに近づくなと脅します。
モン族一家に起きた、悲劇
それからしばらくは平穏な日々が続き、ウォルトは、「自分のしたこと」に効果があったのだと、上機嫌でした。
しかしある日、その思いが一転します。
夜になり、家の前を通過した車から、ウォルトの家と隣家に向けて、突然の銃撃が。
幸い弾は直接当たらず、タオが割れた破片などで軽症を負ったくらいで済みましたが、ウォルトは家にいないスーのことが気がかりでした。
しばらくして、再び車が家の前を通り過ぎた後。
車から降ろされたスーが、フラフラと家に向かって歩いてきました。
スーの顔は腫れ上がり、そして足の付け根から、出血をしていました。不良たちに集団で暴行を受けていたのです。
不良たちの、ウォルトへの「報復」が、最悪の形で実行されたのでした。
「グラン・トリノ」のネタバレ

ウォルトの元に、懺悔をすすめていた若い神父が訪れます。
スーの事件を知り、ウォルトが何かするのではないかと心配になり、駆けつけてきたのでした。
「私もクソ野郎は許せない。どうするんですか?」と尋ねる神父。
「奴らがこの町にいる限り、タオとスーに安らぎはない。何か考える。このままでは済まさん。」
ウォルトは、じっと考えこむようにしながら答えます。
やがて、タオがウォルトの家にやって来ます。
タオはウォルトと共に、不良どもに「復讐」をしに行こうとしていました。そして、ウォルトも当然そのつもりだろうと考えていたのです。
「何を考えてる?虫ケラどもをぶちのめそう!」
熱く語るタオに、ウォルトは「冷静になれ」と諭します。
事を起こすには、周到な準備が必要だと語り、頭を冷やしてからまた家に来いと言って、ウォルトはタオを追い返します。
その後ウォルトは、ずっと拒否していた懺悔をしに、教会へ向います。
若い頃のちょっとした浮気や、家族のことなどを話すウォルトに、神父は「それだけですか?」と聞きますが、ウォルトは「俺の心は安らかだ」と言い残して去って行きます。
馴染みの床屋で髭を剃り、スーツを新調して、ウォルトは家に戻ります。
再びやってきたタオを地下室へ連れて行くと、ウォルトは自分が朝鮮戦争の際にもらった勲章を、タオに渡します。そしてそのまま、タオを地下室に閉じ込めてしまいます。
出してくれと叫ぶタオに、ウォルトは語ります。
「人を殺してどういう気分になるか知ってるか?
最悪だ。それで勲章をもらうなど、もっと最悪だ。
俺は戦争で、降参してきた相手を撃った。お前のようなガキだった。
それを毎日思い出す気持ちが、お前にわかるか?
俺の手は汚れている。だから、1人で行く。
お前は大人になった。信用出来る友達だ。お前の人生はこれからだ。
俺は、関わったことに、ケリをつける。」
スーに電話をして、地下室にタオを閉じ込めたことを伝えると、ウォルトは不良たちが集まる家に向かいます。
家の前に立ちつくすウォルトを見て、不良たちが表に出てきます。
ウォルトは、銃を構える彼らを見ながらタバコをくわえ、ゆっくりと、自分の手を懐に入れます。ウォルトが、そこから素早い仕草で手を出そうとした瞬間、「撃たれる」と考えた不良たちの銃が火を噴きます。
銃弾を受けて倒れるウォルトの手には、銃ではなく、ライターが握られていました。
スーとタオが不良たちの家に駆けつけると、ウォルトの死体が運ばれていくところでした。
現場に近づくなと怒られるタオでしたが、中国系の警官が、タオにそっと教えてくれます。
「丸腰の男が撃たれて死んだ。近所の住民が、みんな見ていた。撃った奴らは、長い刑になるだろう。」
不良たちはみな警官に連れられ、パトカーで護送されて行きました。
そして、ウォルトの葬儀が行われます。
モン族の正装で、葬儀に出席するスーとタオ。
葬儀の後、ウォルトの遺言状が公開されます。
ウォルトの家族と共に、その席に呼ばれていたタオに、ウォルトからの遺言がありました。彼が長年愛していた名車グラン・トリノを、タオに譲ると。
タオはグラン・トリノにウォルトの愛犬を乗せ、町を走り始めるのでした。
「グラン・トリノ」の感想
映画には、数々の名作や傑作があり、多くの人に語り継がれ、高い評価を得ている映画があります。そんな中でも「この映画は、自分にとって特別だ!」という作品が存在します。
名作や傑作などの評価とは別に、例え世間的にそういった評価を受けていなかったとしても、自分にとっては、特別な存在となっている映画。
映画という枠を超えたもの、と言ってもいいかもしれません。
本作は、本作に心打たれた人々にとって、「特別な存在」となる映画のひとつです。
ラストで、自分の人生に「ケリをつけた」イーストウッドの姿に、自分を投影した人は、世界中に数多くいるのではないでしょうか。
あんな風に自分も出来たらいい、あんな風に生きられたらいい。
そして、自分の人生の最後を、あんな風に締めくくれたら。
それは、ほぼ100%に近いくらい「不可能なこと」なのですが、ほんの少しでも、映画を見ている間だけでも「もしかしたら」と思わせてくれる。
本作は、そんな魅力と、迫力に満ちているのです。
アメリカ本国だけでなく、世界中で高い評価を得ながら、配給元のワーナー・ブラザースがアカデミー賞候補に「ベンジャミン・バトン」を推したため、アカデミー賞にはノミネートもされませんでした。
(アカデミー賞では、配給会社からの推薦は「一社一作品」という原則がある)
それでも、本作を心から「愛している」人が、世界中にいるのです。
ガンコ者と言われ、家族から疎まれる存在。
それなのに、プライドだけはやたらと高い。
平気で他人をあざける、暴力的な言葉を使う。
妻が亡くなった今、彼のそばにいるのは、同じく年老いた愛犬だけ。どれだけの男たちが、「これは、俺だ。俺のことだ!」と感じたことでしょう。
もちろん、自分がイーストウッド御大ほどカッコ良くはないことは、十分承知の上で。
マジックハンドと数字のでかい電話機と、老人ホームのパンフレットを持って「誕生日を祝いに来た家族」に、噴火する火山のごとく、怒りを爆発させる主人公。
イーストウッド御大の名演に笑いを覚えつつ、どれだけその姿に、自分を重ねたことか。
もちろん主人公のように、チンピラを銃で脅したり、その報復で若い娘が暴行されたりという「過激な経験」をした人は、映画を見た人の中には少ないというか、ほぼいないでしょう。
でも、大なり小なり、人生の中で「失敗」を経験した人は、大勢いるはずです。自分は正しいと思ってやったことが、思い通りにならなかったこと。
正しいと思ってやっていたことが、結果に結びつかなかったこと。恐らく誰もが何かしらの失敗をしでかし、そのことによる「対価」を払っているのではないでしょうか。
そんな思いに、自分の人生の中で「ケリをつけられている人」も、恐らくはいないのです。
だからこそ本作は、人々の心の中で、何よりも重く響き、光り輝くのです。
ウォルトがしたことが正しかったとか、ウォルトが正義であるとか、そういうつもりは全くなく。自分のしたことに、自分自身でケリをつけて人生を終わらせる、その美学。
イーストウッドだからこそリアルに演じられたとも言える、突出した「ガンコ親父の、人生のケリの付け方」ですが、その「男侠(おとこぎ)」に、心を震わされずにいられません。
世界中の、映画好きな「ダメなガンコ親父たち」の心に、魂の片隅に。
本作はいつまでも、輝き続けているのです。
「グラン・トリノ」の考察
イーストウッドの監督としての、そして俳優としての実力と魅力を、改めて再認識させてくれた本作。
映画としての「完成度」が高いかというと、実は「決してベストと言うわけではない」という印象があります。
まず、前半でスーとボーイフレンドに絡んでくるラテン系のチンピラ、彼らがその後全く出てこなくなってしまうこと。
序盤でモン族のチンピラとやりあうシーンもあったのに、あれで「退場」?と思ってしまいました。
おまけに、スーのボーイフレンドの出番も、あれっきりだという。
この辺りは、エピソードの作り方としてどうなのかしら?と感じます。
クライマックスの「出陣」の際も、地下室に閉じ込めたタオのことを、スーに電話して知らせるっていうのは、ちょっと無理があるんじゃないかと。
タオとスーが、連行されるチンピラどもを見るっていう「絵」が欲しかったんでしょうけど、スーが「怯えている」と神父も言っているのに、チンピラたちの家に行くような流れにしているのは、いささか疑問が残ります。
最後の出陣は、「万全の準備をして」臨んだのでしょうけど、もしウォルトが「失敗」してたら、タオとスーはチンピラの家に行った後、どうなっていたことか。
そのことを、「冷静に状況を考える」と言っていたウォルトが、考えないはずはないよなあ、と思ってしまいます。
加えて、チンピラたちが、家の前から連行されるシーン。
あれだけ周りで、近所の人たちが「目撃」してたのに、あいつら警察が来るまで、家でじっとしてたんですかね?
普通、ウォルトが持ってたのがライターだってわかった時点で、「やべえ逃げろ、めちゃくちゃ近所に見られてるし」ってなりませんか?
それを、近所の人たちが警察を呼んで、その警察が来るまで家で大人しく待ってるとか、ありえないだろうと。
これも、「タオとスーが、チンピラが連行されるのを見る絵」が欲しいがための、無理やりな設定に思えてしまうのです。
このシーン絡みで、神父がウォルトが来るのを見越して、警官にチンピラたちの家の前を警戒してもらってるシーンがありますが。
警官は、ずっと待ってるわけにはいかないと帰って行きますけど、この時に、神父も強引に連れて行ってしまうのがよくわかりません。
神父はこの警官を呼ぶ過程で、何か罪に問われるようなことをしてたんでしょうか・・・?
あとは、遺言でタオにグラン・トリノを譲るシーンですが、息子たちとの関係がそのまま終わってしまうのは、ちょっとあっけないかなあと。
「怒りの誕生日」の後、自分の病気を知ったウォルトが、息子に「用事はないけど」と電話するシーン。
あそこで息子も、何かおかしいと気づいたはずなのに、ウォルトと息子たちとの関係に関する描写は、あれで「終り」なんですよね。
ウォルトが懺悔で「息子たちとの付き合い方がわからなかった」とまで言っているのに、ウォルトのあの行動、あの死に様の後には、息子や孫たちにも「何か」が欲しかったです。
例えばですが、遺言のシーンで、グラン・トリノをモン族に取られた!とばかりに、憮然としている「現代っ子な孫娘」が映しだされますが。
あの子があの後、タオの元に行って、「時々、乗せてもらってもいい?助手席でいいから・・・」と頼む。タオも、「ああ、いいよ」と、それを受け入れる。
なぁんてシーンがあったら最高だったな!と、思うのですけども。
そこまで求めるのは、ちょっと贅沢過ぎるのかもしれませんが・・・。
とまあ、挙げると色々と不満点も出てきてしまう映画なのですけど、もちろん「さすが!」と唸らされるシーンはそれ以上に、山ほどあります。
ずっといがみあっていた、「ベランダのライバル」とでも名付けたいような隣家のおばあちゃんに、ウォルトが愛犬をあずけるシーン。
最後まであんなに、映画の登場人物同士が「会話が繋がらない」関係で終わることって、滅多にないと思います。
なのに、その会話がかみ合わない相手に、愛犬を(半ば強引に)預けて去っていく。
強引にイスの足に縛り付けられたその犬を、おばあちゃんは、ウォルトの葬式の日に、自分の傍らに置いている。これはちょっと、「じーん」と胸に沁みちゃいますね!
それから、序盤からウォルトにやりこめられまくり、それでもめげずに「ハーイ、ウォルト」と何度もやってくる、不屈の精神の持ち主である(もしくは少し天然の気か、空気を読めない感があるかも)若い神父。
ハーイウォルト!と言うたびに「コワルスキーさんと言え!」と怒鳴られ、それでも次に会う時は「ハーイ、ウォルト」。どんだけ?って思っちゃいますが。
それが、スーの事件の後にウォルトを訪ねて来た時には、
「ミスター・コワスルスキー」
って呼びかけるんですよ。
しかも、神父が襟元にいつも付けている、白いカラーを外して。
今日は神父として、仕事として来たんじゃない。友人として、本気であなたのことが心配なんだ。そんな神父の「思い」を、説明せずに表現するシーンになっているのですね。
この辺りはほんとに「さすが」だなあ、上手いなあと思います。
主人公の「病名」をはっきり示さず、「何か覚悟を決めた風」な主人公の行動によってのみそれを語る(恐らくは重病、もしかしたら命にかかわるかもしれない)というのも、見事な描写ですね。
そして、自分の病状を知った上で、最後の「出陣」へと向う主人公。
この出陣計画は、「自分が丸腰で撃たれるのを、近所の人が見ている=証人になってくれる」ということが前提になっています。
この計画は、恐らく不良たちの周囲の家も、タオや不良たちと同族か、あるいは民族は違うかもしれないけど「アジア系の人々」であることを、主人公が知っていたから実行出来たのではないかと思います。(一度彼らを脅す時に、訪れていますので)
これが、周囲が欧米系の人々が住む家だったら、もしかしたら「近所の銃撃事件」は、「スルー」されてしまうかもしれない。
触らぬ神にたたりなしというか、余計なことに首を突っ込まないというか。そんな、「都会の人の特徴」が出てしまう可能性があるのです。
それでは、計画の上で肝心な、「証人」にはならない。
しかし、タオやスーの家族であるモン族といったら、不良を追い返したお礼にと、まあ(悪く言えば)図々しく、こちらが迷惑がっても、貢物を次々と持ってくること。
こういった「モン族の特徴」を知った上で、「計画」を実行したのではないかと思います。彼らはきっと、「証人」になってくれると信じて。
不良たちの家に面と向き合った後、主人公は一度も振り向いたり、辺りを確認したりしていません。それはそのまま、タオやスーの民族への「信頼の証」ではないかと思います、
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